大阪家庭裁判所 昭和41年(家)4445号 審判 1966年10月03日
申立人 大野咲子(仮名)
相手方 大野隆司(仮名)
主文
相手方は申立人に対し婚姻費用として金四万一、四〇〇円を即時に、並びに昭和四一年一〇月一日から毎月金六、〇〇〇円を毎月末までに大阪家庭裁判所に寄託して支払え。
本件の申立費用は各自の負担とする。
理由
一、(本件申立の要旨)申立人は、昭和三八年一一月二六日相手方と結婚し同棲中のところ昭和四〇年八月一八日から相手方との間の長男公一(一歳)を伴い実家に別居していたが、七〇歳の老母に公一を託して勤めに出ることも困難であり、生活費に困りこれまで親戚、知人から借金して生活して来たものである。この際相手方に対して、申立人と長男公一の生活費として相当額の支払いを求める、というのである。
二、(当裁判所の判断)
(1) 当事者提出の資料及び当裁判所の調査の結果並びに昭和三九年(家イ)第八四七号家庭調整事件記録、昭和四〇年(家イ)第二五八六号離婚事件記録によると、次のような事実が認められる。
申立人と相手方は、昭和三八年一〇月二一日結婚式を挙げ、相手方の実父大野竜己(六九歳)の所有建物に同居して結婚生活を始めるようになり、同年一一月二六日婚姻届を了し、翌三九年一二月六日長男公一が出生したものである。ところで相手方の父は、長男、二男と死別した後三男の相手方を頼りに、高齡で、脊椎骨折の負傷後にもかかわらず近くの工場に雑役工として稼働し、相手方の婚姻後も相手方らに迷惑をかけないように稼働していたのであるが、申立人は、結婚後間もない頃から、相手方父とは折合いが悪くなり、後には相手方父に暴言を吐き、呼び捨てにし、新聞やテレビの視聴を妨げ、果てには相手方父を夜具の上から足蹴にしたりして極端に相手方父を憎悪したため、相手方父は、昭和三九年五月四日当裁判所に家庭調整の調停の申立をなし(昭和三九年(家イ)第八四七号)自らは家出して近所に住み、種々話し合いがなされた結果、申立人ら夫婦がアパートを借りて別居したため、同年八月二二日調停申立は取下げ終了するに至つた。
この間相手方は、申立人と相手方父との紛争に苦慮していたが、そのことで申立人に暴力を振うこともなく、月々の生活費も欠かすことなく申立人に交付するなど、できるだけ円滑に家庭を維持しようと努力していた。しかし前記のように申立人が相手方父の立場を理解しないのみならず、父を邪魔物扱いにする態度には次第に不満を持ち、我儘、頑固で自己中心的な性格の申立人との離婚を考えるようになつていた。そのような気持の表われから、相手方は、昭和四〇年七月初め夏季賞与を申立人に渡さず、申立人には相手方父に渡したと述べたことから、同賞与を執拗に要求する申立人と言い争いとなり、離婚話しにまで発展するに至つたのであるが、同年八月一八日申立人は、相手方が出勤した後、主に相手方の給料で買い求めていた電気製品、世帯道具類、食糧品一切を相手方に無断で持ち出し、長男公一を伴つて実家に帰り相手方と別居するに至つたものである。一方相手方もアパートを引揚げて相手方父の許に戻つた後申立人と申立人の母中田ハルヨを交えて数回正式に離婚話をしたが話がつかず、昭和四〇年一一月四日当裁判所に離婚調停の申立をなし(昭和四〇年(家イ)第二五八六号)一六回にわたる調停期日での話し合いもつかず昭和四一年六月二日不成立となり、また申立人も離婚調停中の昭和四一年三月二六日本件婚姻費用分担の調停申立をしたが、同年七月二日不成立となり、本件審判に移行するに至つた。
(2) 以上の事実にもとづき、申立人が相手方と別居するに至つた原因と瑕疵の有無を検討すると、申立人の別居が、相手方が申立人に対して昭和四〇年七月初めの夏季賞与を交付しなかつたことに直接の原因が認められるにしても、相手方が同賞与を交付しなかつたのは、申立人が相手方の実父に対し前記のような行為に出たことに端を発していること、申立人は、そのことに思い至り自己の行為を反省し、積極的に相手方との話し合いや親戚等による仲介、家庭裁判所の利用等によつて問題の円満解決を計るべきに何らその努力をすることなく、別居に際しては主に相手方の給料で購入していた婚姻生活に不可欠な世帯道具、食糧品一切を実家に持ち帰るなど、相手方に対する報復的な行為と認められるような行動に出、また前記離婚調停中においても、相手方の離婚要求を拒否するのみで、真実の積極的な同居への働らきかけがなされなかつたことに照らして考えると、申立人の別居は止むを得ずしてなされたものでなく、むしろ夫婦間の協力扶助の義務に反する傾向が窺われるのみならず、申立人は、相手方と別居後実家の中田ハルヨ方に寄宿し同人の扶養を受けてきたが、中田ハルヨは、自宅として現在の建物木造長屋瓦葺二階建(階下六畳、三畳、一坪位の炊事場、階上四・五畳、一坪位の板の間)を所有し(昭和三九年大阪市○区内三〇坪の自有地を二五〇万円で売却して購入したもの)、最近電話を引き、他に大阪市○区○○○○町○の○○に四〇坪余の土地家屋を所有し、月二万~三万円の家賃収入その他で職業もなく単身で充分生活しているのであるから、長男公一の世話をハルヨに委せ(ハルヨも当然のこととしている)、自ら就職して自活の方法を講ずべきであるにもかかわらず(就職が充分可能で月一万五、〇〇〇円位の収入ができることは、職業安定所に対する当裁判所の調査によつて明らかである)、ハルヨの援助に寄りかかつて積極的に自活への努力をしていないこと(最近になつて臨時に近所の金魚卸店に日給五五〇円で働らきに出ている)、以上の点を合せ考えると、申立人は、別居期間中の婚姻費用として自己の生活費を相手方に請求できる資格に欠けるものというべきである。ただ相手方は、後記のような勤務先から申立人と公一との家族手当として昭和四一年四月分までは月平均一、三五〇円、同年五月分からは二、〇〇〇円の給付を受けているのであるから、各その半額を申立人に交付するのが相当である(昭和四一年四月分までは月七〇〇円宛、その後は月一、〇〇〇円宛を申立人に交付すべきものとする)。
しかしながら、長男公一の生活費については、申立人が上記の立場にあることとは関係なく婚姻費用の一部として実父である相手方において支払う義務のあることはいうまでもないところである。
(3) そこで長男公一の一ヶ月の扶養必要額(最低生活費)を労働科学研究所の生活費算定方式によつて、算定すると、昭和二七年における消費単位一〇〇の場合における最低生活費は七、〇〇〇円で、その頃の大阪消費物価指数は八四・二であるが、昭和四一年四月における物価指数は一四三・二である。従つて昭和四一年四月の消費単位一〇〇の場合における最低生活費は7.000円×(143.2/84.2)×11.904円(円以下切捨て)となる。
公一の消費単位は四〇に相当するから、同人の一ヶ月の最低生活費は11.904円×(40/100)×4.761円となるが、相手方の下記収入に照らして一ヶ月の生活費を五、〇〇〇円とするのが相当である。
(4) 次に、相手方の扶養能力の有無を検討すると
相手方は、昭和三六年夏頃から○○鉄工株式会社○○工場に勤め昭和四〇年七月から昭和四一年六月までの一年間に総収入四八万〇、四一九円(給与合計三八万八、五一九円、賞与合計九万一、九〇〇円)で月平均四万〇、〇三四円である。これから必要経費として一五パーセントを控除したとしても約三万四、〇〇〇円の純収入が認められ、他に家賃の支払いや実父に対する扶養の必要はない。
そこで相手方の一ヶ月の最低生活を前記労働科学研究所の算定方式によつて算定すると、相手方の消費単位は一一五(重作業)に相当するから、一万一、九〇四円(消費単位一〇〇の場合)×(115/100) = 13.689円(円以下切捨て)となり、同最低生活費を前記純収入から控除しても、長男公一の生活費五、〇〇〇円の支払能力は充分認められる。
(5) なお、相手方は、長男公一の生活費が月三、五〇〇円以上を要する場合には引取扶養を希望するが、公一は年齡一年一〇ヶ月の幼児であり、引取つたとしても養育に当る者も無く、仮に養育者があるとしても、実母に特別の欠点がない限り実母において養育する方が子の福祉のために望ましいので、相手方の引取扶養の申出は採用しない。
(6) 以上のとおりであるから、相手方は婚姻費用の分担金として申立人に対し、申立人の扶養費として昭和四一年四月以前は一ヶ月各七〇〇円、同年五月分以降は一ヶ月一、〇〇〇円宛(実質は会社から支給を受ける家族手当金の交付)、また長男公一の扶養費として一ヶ月五、〇〇〇円宛を、申立人が本件婚姻費用分担の申立をした昭和四一年三月分から、同居の回復ないしは離婚に至るまでの間、毎月末までに(従つて昭和四一年九月分までの婚姻費用合計四万一、四〇〇円については既に支払期限が到来した)、当裁判所に寄託して支払うのが相当と認められる(なお離婚後の長男公一の扶養料については、離婚の本訴訟において定めるのが適当である)。よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 萩尾孝至)